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ジョバンニの食卓

ジョバンニが勢よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。
 その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって小さな二つの窓には日覆が下りたままになっていました。
 「お母さん。いま帰ったよ。工合悪くなかったの。」ジョバンニは靴をぬぎながら云いました。 「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は涼しくてね。わたしはずうっと工合がいいよ。」 
ジョバンニは玄関を上って行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室へやに白い巾きれを被って寝やすんでいたのでした。 
ジョバンニは窓をあけました。
 「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」 
「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。」
 「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」
 「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。」 
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」 
「来なかったろうかねえ。」 
「ぼく行ってとって来よう。」
 「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。」
 「ではぼくたべよう。」 
ジョバンニは窓のところからトマトの皿をとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
 「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より

写真は、数日間煮込んだ、チキンと野菜のトマト煮込みシチューの最後の一杯。
とはいえ、こだわりで煮込んだというよりは、自宅缶詰状態を作るため大鍋に作り置きしていた結果なのでした。
このシチューを食べながら、私はぼんやり、ジョバンニの姉さんが「トマトで何かこしらえて」くれたのは、こんな料理ではなかったかしら?
と妄想したのだった。
子供の頃、私はこの姉さんがこしらえたというトマトを使った何か、がとても温かいご馳走のように感じたものだった。
苦しい生活の描写の場面にもかかわらず。
いや、だからこそだろうか。

宮沢賢治全集は、小学校時代の一番の愛読書だった。
寝る前に、よく父が読み聞かせをしてくれた。
読み聞かせで好きだったのは「雪わたり」という作品で、”キックキックトントン、キックキックトントン。”というリフレインのくだりが、音読してもらうと非常に楽しかったので何度もリクエストしたのを覚えている。
自分の子供に読み聞かせをするという風景は、私にとっては幸福の絶頂のひとつなのだが、他から見ればただの少女趣味なのかもしれぬ。
だけど私はやっぱり、いつか読み聞かせをするのは夢であります。

さて、ジョバンニの食卓は慎ましい。
トマトシチューとパンの食事の他に、病気の母さんの滋養に注文するのは瓶入りの牛乳であり、ジョバンニはそこに角砂糖を入れて喜ばしてやろうというのだ。

牛乳に入れるためのお砂糖を買ってくるという発想そのものが可愛くて、いじましくて、私は泣けてきてしまう。

ねぇ、ジョバンニ。
あなたは、この国で、いいえ、星の世界で、いまや一番有名な少年のひとりなんだ。
これからも、物語の世界の中で、元気に暮らしていておくれ。

夜空を見るたびに、君を想います。



追記:「ジョバンニの食卓」というタイトルがとても気にいったので、宮沢賢治の作品群のモチーフか、文学に登場する食べ物モチーフで、このタイトルの小品をいつか書いてみたいと思う。
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