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春よりも儚く

201104101646000.jpg 久しぶりに、熱を出した。
この一ヶ月、どこかが本調子ではないのは気が付いていたが、情け無い。
子育てをしているというわけでもないのに、随分と余震やら放射能のことで、神経がさざなみを立て続けてしまったように思う。
それだけが原因というわけでもなく、もろもろ、ちょっとずつの無理が重なってのことなのだが、原因不明で熱が出た。

ある夜、良いお芝居をみた帰りにふらふらしだし、これも観劇後の興奮かと思いながら帰路につき床につき、翌朝、身を起こせばそのまま嘔吐してしまいそうな頭痛と熱に見舞われてしまったのだ。
私はひとり暮らしである。天地を揺らすような眩暈がおきても頼る家人はない。
すっかり観念した。
はうように、冷蔵庫に水を取りにゆき、枕元に置いた。
あとは目を閉じるしかなかった。
ふらふらとした脳で時々目をあけ、窓の光を見る。
ぼんやりと演劇のことを考え、途中で一本だけかろうじて電話をとり気合で対応を終えると、その後は意識がどんどん遠のいていった。
夢を見たようなみないような時間。
覚醒したり遠のいたり、意識が船を漕いでいるうちに、私は十何年ぶりかの体験をした。
空が、朝になり昼になり夕暮れになり夜になる、その過程を、その美しい色の移り変わりを、結局全て眺めてしまったのだ。
静けさの中で。

ああ、地球はまわっているんだな。
と、心から実感した。
星の上にいるちいさな自分を感じた、と、思ったら、温かい涙が出た。

そして、人間が、たいそう親不孝ないきものに思えてきた。
生命の羊水であった海に、汚れたものを流してしまった自分たちのことを思い、さめざめと泣いた。
人というのは、熱があるとどうしてこうも涙もろくなるのだろう。
高熱の海をさまよったあと、地球が一週半してようやく私は陸地に漂着した。
解熱剤で騙しながらも、台所と仕事部屋に立った時の幸福感が忘れられない。
湯がいただけのアスパラガスが、天国の食べ物のように新鮮に感じた。

「結局、いつ死んでもいいと思えるように生きるしかないじゃないですか。」と、大切な人が、ある日言った。
極論すぎやしないかと思っていたけれど、溺れかけてから日常の砂地に立ってみれば、確かにその通りかもしれないと思った。

さぁ、地球一周半分の失った時間の分、何かで取り戻さねばならない。
転んでただでおきていたら、もったいない。
そして、地球一周分の儚さを、日々、楽しみながら生きてゆきたいと思う。

春より儚い人生ならば、誰に遠慮がいるものか。
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