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告白

愛情があるならその心を告白するべきだろうか。
それとも、それが本当に愛情ならば告白する必要はないのだろうか?

己の心の裏側を赤裸々に陽の下にさらすのが表現ということなのだろうか?それとも否か。

このふたつの問いは、無関係なようでいて私の中では合わせ鏡のように繋がっている。

近年「私演劇」という言葉を見かけるようになったが、これは「私小説」という言葉の演劇版をさしている。

私は、家族の情景を取り上げることが多く、平成の向田邦子(恐れ多すぎるが)、お茶の間芝居作家、などと例えられたこともある。
そのためか、自分自身の家族をモデルに描いているのだと思われることが多かった。
登場人物のモデルやエピソードの種、また、モチーフや原風景は、確かに私の人生の中で見つけ、拾い集めてきたものだ。
だが、それは多くの作家に共通することでもあり、自分では拙作は「私演劇」とは違うと思っている。
今回、クマを登場人物に仕立てたのは、自分の作品の中の虚構性を、今一度立証したかったという側面もあるのが本音だ。

さて、私の作品は「私演劇」ではないと宣言したが、実は創作の裏側では非常に私的な感情が動くこともある。
なんのことかと言えば、私の作品の何本かに一本は、実は誰かに向けて書いたものだ。
小説の見開きに時々、「愛する妻ナターシャに捧ぐ」とかなんとか書いてあることがあると思うが、心の中でこっそりと、作品を特定の人に捧げてしまう時がある・・。

創作の純粋な欲望から外れているように思われる方もいるかもしれないが、どうぞ許して欲しい。
それは、俳優の魅力を活かすような役を書くとか、モチーフを正確にあぶりだす為に構成を練るとか、そういった基本とは別次元のお話なのだから。

つまり、魂を何に向けるかということだ。
心を込めるという行為は、本来、かけがえのないたったひとりの為にこそ、本領を発揮するものだともいえるじゃないか。それが、子であれ妻であれ恋人であれ。

世界中の人々の幸せを祈る気持ちよりも、ひとりのわが子を守る衝動 の方が、どれだけ強いものだろう。 どうしてもこの女を抱く、という欲望の方がどれだけ強いものだろう。
少なくとも私にとっては、世界への博愛よりも、個人への愛や執着の方が生々しい説得力を持っている。

愛の告白をする代わりに、遠く離れた場所で、ひそやかに作品を産み落とす。
心の中だけで交わり、身籠り、ひとりだけで産み落とす。

想っているだけなら、罪にはならないだろう。

指一本相手に触れないことも、愛情を微塵も匂わせないことも、愛情だ。
作家をしていて救われたと思う数少ないことのひとつは、辛い出来事や、今までなんの生産性もなかった「片思い」という行為が、創作時には驚きの生産性をもつということだったりする。

長い告白になりました。
あなたに少しでも、私のことを知っていただきたくて書きました。
どの面ひっさげて告白していやがるのかと、ぜひ、観に来てください。
自分の芝居を通して、指一本触れずに貴方様の心を抱き寄せることが出来たら、どんなに幸せか・・。

抱かせてください。優しくします。
きっとその為だけに、演劇をしているのです。

小夏

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