戦場からの恋文
2010.02.09 Tuesday
もしかしたら、同じタイトルで以前書いただろか?
なんどか、祖父の話を書いているから。フランス滞在の影響で、今年はお正月の親戚まわりができなかったこともあって、先日、祖母と伯母と従兄の暮らす母の実家に挨拶に行ってきた。
小さなお土産を渡し、温もりのある手製の夕飯をご馳走になり、旅のことや近況を水入らずで話した。
何かの話の流れで「ババ(祖母)達が新婚さんの時は、ジジ(祖父)は、結構晩酌とかでお酒を飲んだんでしょう?」という話をしたら「・・新婚って・・いわゆる新婚時代っていうのは無かったから。」という返事が来た。
祖母と祖父は、親の決めた許嫁同士で、戦争中に祝言をあげた。
祖母は東京に暮らしていたのだが、当時、祖父は海軍の軍人で将校だったため、仕事の都合で新居を呉にもち、ほんの数週間の短い新婚生活を、呉の地で過ごしたのだという。
数週間後には、祖父は南方へ向かうことが決まっていた。
そのため、お世話になった方への挨拶まわりだの、身支度だの、そんなことでバタバタと数週間が過ぎ、いわゆる蜜月のような甘い時間が一切なかったのだという。
そうして、そのまま4年後に再会するまで、ひとり。
当時の女性の生き方や、置かれた立場と、今の私の育てられ方は随分違う。
でも、たった一カ月のパリ滞在で、もしくは、10日を超えたハードワークで、ひとりを噛み締めすぎて、寂しくてはちきれそうになったりする自分の弱さを思うと、祖母がさらりと言う「そのあと、4年間帰って来なかったからねぇ。」の重みに打ちのめされる。
私は一度も嫁に行ったことはないから恋愛しか知らない。
恋愛と、結婚は、同じ尺度で語れることでは決してないけれど、いったい何がふたりの男女をそこまで繋ぎ止めていたのだろう。
それは、運命なのか、覚悟なのか、時代が違い過ぎて比較にはならないかもしれないけど・・。
親が決めた許嫁に嫁ぎ、4年待ち続ける間に、どのように愛が育めたというのだろう。
大きな歴史の波の中での日々は、現代人の日常感覚では測れないものがあるとは思うけれど・・。
ただ、私は、このことを思う時、いつも祖父からの恋文を思い出すのだ。
おばあちゃんの部屋の箪笥の引き出しにしまってある手紙の束。
そこには、達筆な字で何枚もしたためられた戦場からの恋文がある。
美し文字で綴られた、緻密で丁寧な日々の報告。
そして、何編もの和歌。
祖父は随分インテリな人だったこともあって、手紙には必ず、何編かの和歌や短歌が書き添えられていたのだ。
物が贈れない時代の、言葉の贈り物。
だが、それよりも一番、印象的だったのは、恋しい、とか、恋しいお前、という照れくさい言葉がはっきりと書かれていたことだった。
ろくな蜜月もなく、常に死と隣あわせの戦争に放り込まれて、4年も引き離されて、それでも男は、または、それでこそ男は、「恋しい」という三文字を、切々と綴ったのだろうか。
日本男子よ、どうか、堂々と愛を告げよ。愛を語れ。照れている暇はない。
腐りきったみたいに平和なこの町だって、いつ死と隣あわせになるかわからない。
通いなれたこの道で、明日不幸にも命を落とす可能性だってある。
それに、君の今いる場所だって、きっと違う意味でやっぱり戦場だろう?
働くことは、いつだってどこかしら戦うことだ。
本気で働く男であればあるほど。
女も、またしかり。
戦場の男達よ、どうか、今夜は奥様や恋人に言葉の贈り物を。
終わりない日々の中で、銃声が聞こえる。
女達もまた、戦場で空を見上げているのだ。
応答願う。
火花を蹴散らしながら、待っている。
その言葉を、この耳に、目に。
小夏
